フィリピンに住んでる私の友人の話
今日は、【人生初、1人で海外に行った時の話】にて、出てくる私の友人の話をしよう。
前記事でも書いていた通り、この友人とは小学生の頃からの付き合いだ。
私は小学校5年生の春、親の転勤で東京に引っ越してきた。
クラスで1番最初に話しかけてきてくれたのがこの友人だった。
かれこれ10年以上前の話で、詳しくは覚えていないが、クラスで何かをする時にペアを組まなければいけない授業での事だ。
彼女は、わたしに「一緒に組もう」そう声をかけてきてくれた。
普通であれば、誘ってきてくれた人に対して、何かしらのアクションを取らなければならない。
それなのに、私はその言葉を無視したのだ。
それには理由がある。
彼女は、見た目が日本人離れしていて、当時田舎から出てきたばかりの私からすると、とても怖かったのだ。
怖いからといって無視しても良い理由にはならないが、ただただ怖かったのだ。
ミディアムほどの髪の毛に、大量の細く編まれた三つ編み、毛先にはカラフルな色のゴムが付いていた。
イメージできるだろうか。
日本人離れしていたのだ。
顔も、日焼けしていて少し黒くて、日本人とは思えない顔立ちだった。
たしか、私は別の誘ってきてくれた友達と組んだのだと思う。
せっかく転校してきてまだ友達がいない私に話しかけてきてくれたのに、それを無視した私。
もし自分だったら、そんなことをされたら嫌な気持ちになるし、もうあまり話しかける事はないと思う。
しかし、彼女はその後も事あるごとに私に話しかけてきてくれたのだ。
とても嬉しかったのを覚えている。
私が通っていた小学校は5年生から6年生に上がる時クラス替えがなかった。
2年間、最初に話しかけてきてくれた時に無視してしまった私に、めげずに話しかけてきてくれた。
仲良しとまではいかないが、普通に話をするクラスメイト、くらいの関係になった。
今でもその話を彼女とするが、その時のことを全く覚えていないという。
私は罪悪感をかなり持っていた為、覚えているのかもしれない。
中学校に上がると、わたしは彼女と同じ部活に入った。
彼女は常にポジティブだ。
そして、やりたいことはやる、やりたくないこと、納得できないことはやらない、少しでも疑問を持ったら、相手が例え先生だとしても、しっかり意見を言ってぶつかっていった。
わたしはそんな彼女が羨ましかったし、何でも言葉にできて、言いにくいことでもきちんと相手に伝えることができる所を尊敬していた。
部活後に、帰りの方向が同じだった彼女と、他の友人数人と毎日1時間程同じ場所で話をした。
お腹が空いていても、いくら疲れていても、散々部活の時間一緒にいるのに、話は全く尽きなかった。
中学3年間、部活にほぼ全てを捧げ、共に汗を流し、卒業する時には、青春を謳歌したかけがえのない仲間になっていた。
高校に入学した後は、別々の学校だったが、連絡を取り合いたまに2人で遊ぶようになった。
一緒にいて居心地が良いし、意見をはっきり言ってくれる彼女に私は色々な相談をした。
些細な相談でも、きちんと聞いて、考え、はっきりと意見を言ってくれた。
彼女と話すと、ポジティブな気持ちになれる。
マイナスの面より、プラスの面を教えてくれた。
中学の頃はよく勉強は嫌いだと言っていた彼女だが、大学に入り英語を学び、留学に何度も行き、卒業する頃には海外で働くという明確な目標を決めて、その夢を叶えている。
今現在海外で仕事をしているのだ。
今年も夏に、彼女のいるフィリピンに遊びに行く予定だった。
今年はコロナのせいで、難しそうだ。
早く収束してくれることを祈るばかりである。
この画像は、小学校5年生の頃の彼女のイメージ画像なのだが、非常によく似ていると、共通の友人からお墨付きだ。