サボり癖
ブログをかなりサボってしまった。
昔からそうだ。
やると決めるととことんやるが、一度やらなくなるとそのままやらなくなってしまう。
思っていることを文章にするのはとても難しい。
ちょっとした言い回しや、言葉のチョイスで、読み取る側のイメージは変わってしまう。
学生の頃は作文や感想文を書くのが好きだった。
明確な答えのある算数や数学より、答えがひとつではなく、頑張ればなんとか答えが導き出せる国語の方が好きだった。
そうは言っても、好きと得意は別である。
先日、中学生の頃の卒業文集が出てきた。
自分のページを開いてみたが、読めたもんじゃない。
過去の自分というものはいつになっても恥ずかしいものなのか、、?
小学生、中学生くらいまでなら恥ずかしいながらも、黒歴史だと微笑ましくも思えるかもしれない。
大人になった今は?
この今を黒歴史だと思う未来が来ないように、今を懸命に生きよう。
書くことが思いつかないので今日はこれでおわり。
人生初、1人で海外に行った時の話5
海でたくさん楽しんだ後は、見晴らしの良いスポットに連れて行ってもらった。
ここからの眺めは最高だった。
崖の上から海に飛び込めるスポットがあり、地元民の方たちが飛び込んでるのを見ていたら、やってみたら?と言われて、挑戦することに。
まずは友人が挑戦!
上から見るとさらに高く見え、中々飛び込めずにいた。
見てる分には楽勝に見えた。
友人が時間をかけて飛び込んだ後、次はわたしの番だ。
いざその場に立ってみると、思っていた以上に高い、、、。
わたしが飛び込めずにいると、地元民の子たちが一緒に飛び込んでくれることになった。
3!2!1!
勇気が出なくて、飛び込めなかった笑
少し時間を置いて再チャレンジ。
目を閉じて飛んだ。
落ちてる時間は一瞬だったが、とても怖かった。
でも飛び込みは一度やってみたかったから、できてよかった。
その後は、夜ご飯を食べにレストランへ。
ガーリックシュリンプを頼んだ。
日本と違い、殻付きで出てきた為食べるのが大変だった。
けど、味はとても美味しかった。
来るまで、フィリピン料理が口に合うか心配していたが、食べたもののどれもが美味しくてお腹を壊すこともなかった。
次来た時は、もっと色々な料理に挑戦したいと思う。
今回のバンタヤンでの移動は全て、このバイクの横に座る所がついてるトライシクルという乗り物だった。
バイクの部分にオーナーさんが座り、運転をしてくれて、わたしと友人はバイクの横についてる椅子に座る。
写真ではリュックが置いてあり見えにくいと思うが、この椅子が中々小さくて狭かった為、半分体がはみ出た状態で走ることになる。
最初は怖かったが、乗ってるうちに慣れていって身を乗り出しても怖くないほどになった。
これがもう最高なのだ。
街中を走るのも爽快で、森の中を走るのも壮大だった。
夜道を走るのが1番気持ちよかった。
バンタヤンはまだ発展途上の場所のため、外灯がほぼない。
トライシクルに乗って、真っ暗な道を進みながら満天の星を眺めていると、心底日本に帰りたくない、ここにずっといたいと思ってしまう。
発展途上でも、街が栄えていなくても、何でもあって便利で過ごしやすい日本より、この街の方がよっぽど魅力的に感じた。
明日で最終日。
3泊4日の旅が、あっという間に終わってしまった。
明日の朝は早く起きなければいけなかったが、しばらく会えなくなることもあり、夜な夜な語り尽くして、楽しい夜だった。
次の日の朝、起きてまだ外が薄暗い中、オーナーさんに船乗り場まで送ってもらった。
この旅行中、たくさんお世話になった。
色々な所に連れて行ってもらい、色々な体験をさせてくれた。
本当にいい人で、この3日間で大好きになった。
またバンタヤンに遊びにきた時は会いに来たいと思う。
船に揺られ、バスに乗ってセブに戻ってきた。
ドライマンゴーのお土産を買いに、有名な7Dの工場へ。
ここで買うのが1番安いらしい。
たくさんお土産を買って空港まで送ってもらった。
4日間、全ての予定を組んでくれて、宿も見つけてくれて、友人には感謝でいっぱいだ。
ハプニングはいくつかあったが、それさえも楽しかった。
お別れの時は少しだけ泣きそうになった。
来ようと思えば来れる距離だ。
けれど、4日間共に過ごした友人との別れはやっぱり寂しい。
姿が見えなくなるまで見送ってくれた友人。
見えなくなった後、やっぱり少しだけ涙が出た。
帰りの飛行機では、4日間の疲れもあり、ずっと寝ていた。
日本に着き、帰りの夜行バスに乗った。
時間通りにくるバス、時間通りに動いてる人、整備されている道路、掃除が行き届いていて綺麗なトイレ。
日本に帰ってきたんだと実感した。
日本はとても過ごしやすい。
時間は正確だし、街は綺麗だし、欲しいものはほぼ何でも手に入る。
しかし、便利すぎて不便だと思うことも多々ある。
フィリピンでは、何事も時間はアバウトだし、街はまだまだ整備されてない所が多いし、物だって簡単に手に入らない物が多い。
でもそういった不便さの中にも、人の温かみだったり、自由な生き方、日本の生活ではあまり触れられないような素敵なものがたくさんあった。
たったの4日間ではあるが、色々な話を聞き、色々な経験ができ、色々なことを考えた。
うまく言葉で表すことができないが、本当に来てよかった。
間違いなくわたしのアナザースカイは、バンタヤンだ。
人生初、1人で海外に行った時の話4
ヴァージンアイランドで2時間ほど遊んだら、ボートに乗ってバンタヤンに戻ってきた。
空の青と海の青が綺麗に交わって、幻想的な景色だった。
夜ご飯は、MJスクエアというご飯屋さんがたくさん集まったフードコートのような所へ。
メニューが読めなかった為、適当にお肉を注文。
味にクセもなく、とても美味しかった。
周りのフィリピン人たちが手で食べていた為、フォークとナイフを出してもらったが、私たちも手で食べることに挑戦。
手は汚れるが、洗う場所もきちんと用意されているし、手で食べるのは中々よかった。
部屋に戻ったら、お菓子をつまみながらビールで乾杯。
ベッドでくつろぎながら、お互いの近況報告など、色々な話をして就寝。
3日目の朝はゆっくり起きて、家を貸してくれたオーナーさんが隣でやってる売店のようなところで朝ごはんに、レモンソーダとインスタントの焼きそばを購入。
ここで事件が起こった。
インスタントの焼きそばの麺の袋を開けると、なんと中から数十匹、いや数百匹のアリがあり得ないほど出てきたのだ。
唖然として、食欲が一気に無くなった。
しかし、友人は強かった。
フィリピンにずっと暮らしているだけある。
焼きそばの麺を水で洗い、麺に住み着いたアリたちを撃退し始めた。
洗って食べる気のようだ。
「食べてみなよ、全然美味しいよ」
そう言われるがままに、恐る恐る食べてみた。
うん、全然食べれる、しかも美味しい。
普通にシーフードの塩焼きそばだった。
ご飯を食べた後は、オーナーさんがマングローブに連れて行ってくれることになった。
マングローブを見たことがなかったわたしは、とても感動した。
思っていた以上に水は綺麗だし、自然の偉大さを感じた。
ここでわたしはカメラのレンズカバーを落としてしまった、、
しかし、わたしはハイになっていた為、落ち込んだりしなかった。
日本に帰って買えば良いのだ。
なんだか自分がどんどんポジティブになっていってる気がしていた。
現地の人によって手作りされた橋を渡り、梯子を登り眺めの良い景色を見たり、なかなか素敵な時間を過ごした。
マングローブの後は、またビーチに連れて行ってくれるようだ。
こんなところに海なんてあるの?というような森に辿り着いた。
歩くこと10分、いきなり視界が開けて、現れたのは誰もいないビーチ。
目の前に広がる絶景に、言葉が出なかった。
全然人はいないし、絵のような青い空に幻想的な雲、この世界にこんな所があるなんて、本当に同じ地球なのかと疑う程、綺麗だった。
人生初、1人で海外に行った時の話3
1日目に目的地であるバンタヤン島(セブ北部にある、まだあまり観光地化されていない秘境の島)に行けず、セブで1泊。
朝4時に起きて、まずタクシーに乗ってバス乗り場まで。
バス乗り場まで割と距離はあったが、タクシーが激安だった為、日本で乗るよりだいぶ安く済んだ。
バスで、船乗り場まで連れて行ってくれるらしい。
タクシーを降りると、誰だかわからないがおじさんがわたしのスーツケースを運んでくれた。
運んでくれたというか、奪い取られて勝手に運ばれた。
まぁそれでも、運んでくれるなんてフィリピン人ってなんて優しいんだろう。
そう思ったのも束の間、しっかりチップを要求された。
勝手に運んでお金を要求するなんて、と思いつつもフィリピンルールに則って、日本円にして50円くらいのチップを渡した。
バスに乗ってる時間はかなり長かった。
渋滞していたこともあり4時間くらいは乗っていたと思う。
寝不足だった分、ほぼ寝ていた。
きっと暑いだろうと思い半袖を着ていたが、バスの中はクーラーがガンガンでかなり寒かった。
寒くて起きて、また寝て、起きてを繰り返してやっと着いた船乗り場。
やっとバンタヤンに行ける。
船からの眺めは最高だった。
広い世界を知らなかったもんだから、なかなかの感動である。
船に乗って1時間、ようやくバンタヤン島に着いた。
宿を貸してくれるオーナーさんが迎えにきてくれていて、車で案内してくれた。
わたしはひたすら街並みにうっとりしていた。
ほぼ車が走っていない!
テレビで見るような乗り物がたくさん!
ただの看板なんだろうけど、なんだか全てがオシャレに見えた。
今回は友人が直接問い合わせてくれて一戸建ての家を借りることになったのだが、かなり広い。
そして思っていたより綺麗だった。
なんと、値段も日本円にして3泊で4000円!
4000円で3泊できてこのクオリティは感動だった。
部屋も多く、リビングも綺麗。
キッチンも付いていて、ベッドも広くて最高だった。
家に着いて荷物を置いて少しゆっくりしていると、オーナーさんが隣の島に連れて行ってくれると言ってくれた。
バンタヤン島は、3時間で島を一周できるくらいのこじんまりとした大きさ。
水着に着替え、まず島の端っこまで行ってから、ボートに乗って隣のヴァージンアイランドへ。
海がエメラルド色で輝いていて、満点の青空の中風を浴びながら進むボートはとても気持ちが良かった。
30分ほど乗っていると、島についた。
綺麗すぎる。
写真でしか見たことのないような景色が一面に広がっていた。
まだそこまで観光地化されていないだけあって、人が全然いない。
水の温度も冷たすぎずちょうど良く、海に1時間以上浸かっていたと思う。
人のいない、波の音しか聞こえない海で、友人と色々な話をした。
自分の悩みなんてちっぽけで、可能性は無限だと感じた。
「もっと自由に生きなよ、人生1回きりなんだからさ」
友人がわたしに言った一言。
よく聞くようなセリフだが、今までで1番心に沁みた。
少し視野を広げてみるだけで、希望がたくさん見つかった。
自由に生きる友人が、とても眩しくみえた。
来てよかったと、心から思った。
タイムマシンにのるなら過去に行くか未来に行くか
人生で一度はこの話で盛り上がったことがあるのではないか。
わたしは絶対に『過去』に行く。
特にやり直したいことがあるわけでもない。
いや、無いと言ったら嘘になるが、過去に戻ってまでやり直したいとは思わない。
あの時こうしていればよかったなと思うことは多々あるけど、、、
わたしはとてもいい人生を過ごしていると思う。
それなりに友達もいたし、それなりに好きな人と付き合ったりすることもできた。
学生生活だってずっと楽しかった。
だからこそ、戻りたいのだ。
戻って、過去選んだ道と同じ道を選びまくって、もう一度楽しかった自分の人生を味わいたい。
ただ、『未来』に行ってみたいと思ったことも何度かある。
何かに迷った時は、どちらの方がいいか一度未来の自分をみてみたいと思った。
まぁでも『過去』か『未来』かどちらか選ぶとしたら、『過去』だ。
わたしは映画を観るとき、ネタバレを先に見てしまうことがたまにある。
先が気になりすぎるあまりに、せっかく観てる映画を一時中断してまでも、オチを知ろうとしてしまう。
映画を観続けていれば必ずわかるのに、わざわざ先に調べてしまう。
不安でドキドキする状態が続くのが、苦手なのかもしれない。
かと言って、スリルのあるどんでん返しのラストがあるような映画が嫌いなわけではない、むしろどんでん返しが好きだ。
なぜだろうと考えたが、きっとわたしは早く安心したいのだ。
結果がわかって観る分には、安心して観ることができる。
安心するために先にネタバレをみてしまうのである。
この先どんな試練が待ち受けているのか、どんな楽しいことがあるのか。
はたまたいつ死ぬのか。
自分の人生を安心して生きるために、『未来』にいく、というのもありなのかもしれない。
いや、でも先が分からないからこそ楽しくて、未来がわからないからこそ今を一生懸命に生きなければならない。
やはりタイムマシンに乗るなら、わたしは『過去』に行きたい。
しかし、思い出というものは少々美化されているものだ。
今戻っても、自分の思っていたような過去ではないのかもしれない。
思い出だからこそ、輝いていて、素敵なものに感じるのかもしれない。
タイムマシンなんていらない。
今を一生懸命生きれば良いのだ。
でも、いつだって過去の自分を誇りに思えるような、そんな今を生きたい。
そう思った今日この頃。
春といえば
春といえばお花見。
今年は自粛しなければいけない為、お花見をやる人は少ない。
例年だと、わたしも職場の行事でお花見がある。
仕事終わりにみんなで、桜が咲いている少し大きめの公園に行き、屋台をつまみながらお酒を飲む。
実際桜なんてあまり見ないが、お花見の雰囲気は好きだ。
花粉症でもないわたしにとって、春はとても過ごしやすい季節なのである。
わたしが1番好きな季節は夏だ。
夏はイベントがたくさんある。
海、川、BBQ、お祭り、花火大会、、、。
暑いのだけは年々苦手になってきてはいるが、1番楽しみが多い季節だからだ。
春は、そんな夏が待ち遠しくもあり、梅雨に向けて少し憂鬱な気分になったりもする。
夏までにコロナは落ち着くのだろうか。
フィリピンに住んでる私の友人の話
今日は、【人生初、1人で海外に行った時の話】にて、出てくる私の友人の話をしよう。
前記事でも書いていた通り、この友人とは小学生の頃からの付き合いだ。
私は小学校5年生の春、親の転勤で東京に引っ越してきた。
クラスで1番最初に話しかけてきてくれたのがこの友人だった。
かれこれ10年以上前の話で、詳しくは覚えていないが、クラスで何かをする時にペアを組まなければいけない授業での事だ。
彼女は、わたしに「一緒に組もう」そう声をかけてきてくれた。
普通であれば、誘ってきてくれた人に対して、何かしらのアクションを取らなければならない。
それなのに、私はその言葉を無視したのだ。
それには理由がある。
彼女は、見た目が日本人離れしていて、当時田舎から出てきたばかりの私からすると、とても怖かったのだ。
怖いからといって無視しても良い理由にはならないが、ただただ怖かったのだ。
ミディアムほどの髪の毛に、大量の細く編まれた三つ編み、毛先にはカラフルな色のゴムが付いていた。
イメージできるだろうか。
日本人離れしていたのだ。
顔も、日焼けしていて少し黒くて、日本人とは思えない顔立ちだった。
たしか、私は別の誘ってきてくれた友達と組んだのだと思う。
せっかく転校してきてまだ友達がいない私に話しかけてきてくれたのに、それを無視した私。
もし自分だったら、そんなことをされたら嫌な気持ちになるし、もうあまり話しかける事はないと思う。
しかし、彼女はその後も事あるごとに私に話しかけてきてくれたのだ。
とても嬉しかったのを覚えている。
私が通っていた小学校は5年生から6年生に上がる時クラス替えがなかった。
2年間、最初に話しかけてきてくれた時に無視してしまった私に、めげずに話しかけてきてくれた。
仲良しとまではいかないが、普通に話をするクラスメイト、くらいの関係になった。
今でもその話を彼女とするが、その時のことを全く覚えていないという。
私は罪悪感をかなり持っていた為、覚えているのかもしれない。
中学校に上がると、わたしは彼女と同じ部活に入った。
彼女は常にポジティブだ。
そして、やりたいことはやる、やりたくないこと、納得できないことはやらない、少しでも疑問を持ったら、相手が例え先生だとしても、しっかり意見を言ってぶつかっていった。
わたしはそんな彼女が羨ましかったし、何でも言葉にできて、言いにくいことでもきちんと相手に伝えることができる所を尊敬していた。
部活後に、帰りの方向が同じだった彼女と、他の友人数人と毎日1時間程同じ場所で話をした。
お腹が空いていても、いくら疲れていても、散々部活の時間一緒にいるのに、話は全く尽きなかった。
中学3年間、部活にほぼ全てを捧げ、共に汗を流し、卒業する時には、青春を謳歌したかけがえのない仲間になっていた。
高校に入学した後は、別々の学校だったが、連絡を取り合いたまに2人で遊ぶようになった。
一緒にいて居心地が良いし、意見をはっきり言ってくれる彼女に私は色々な相談をした。
些細な相談でも、きちんと聞いて、考え、はっきりと意見を言ってくれた。
彼女と話すと、ポジティブな気持ちになれる。
マイナスの面より、プラスの面を教えてくれた。
中学の頃はよく勉強は嫌いだと言っていた彼女だが、大学に入り英語を学び、留学に何度も行き、卒業する頃には海外で働くという明確な目標を決めて、その夢を叶えている。
今現在海外で仕事をしているのだ。
今年も夏に、彼女のいるフィリピンに遊びに行く予定だった。
今年はコロナのせいで、難しそうだ。
早く収束してくれることを祈るばかりである。
この画像は、小学校5年生の頃の彼女のイメージ画像なのだが、非常によく似ていると、共通の友人からお墨付きだ。